ギターと研究と日常

大学で研究をしつつギターを弾いています。時々エフェクターを改造したり旅に出たり。

群馬県の吾妻エリアにも行ってきました!!

どーもです!しばらく更新をせずにいた反動なのか、最近ものすごくブログ更新欲が強くなって参りました。という訳で今回は前回の続きです。

前回の記事では、久しぶりの旅で赴いた碓氷峠についてまとめましたが、今回は同じ旅で碓氷峠以外の行先である群馬県の吾妻エリアについてまとめようと思います!よろしくお願いします!

吾妻ってどこじゃ

まず、最初に吾妻(吾妻郡)がどの辺に位置するのかと言いますと、群馬の左上の突き出たあたりの大部分。私の故郷である栃木県でいうと旧日光市と旧今市市を足した感じです(←一部の栃木県民にしか伝わらない例え)。文章よりも図の方が伝わると思うのでざっくり描いた図を貼っておきます。ちなみに、かの有名な草津温泉は吾妻郡にあります。

 

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吾妻の大体の位置。かなり雑です。群馬県民の方々お許しください…。

私たちの旅は、自分が強く希望した碓氷峠以外の行先を決めておらず、元々は吾妻の方を旅しようとは思っていませんでした。群馬県の横川での観光を終わらせた後の行先に困っていたタイミングで、一緒に行った仲間の1人が「浅間山鬼押し出し園に行きたい!」と言い出したことで、私たちの行先は吾妻エリアへと決まったのでした。ここからは行った順に、吾妻のオススメスポットを紹介していきます。

鬼押し出し園・浅間山

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手前には溶岩。奥には浅間山が見える。このような風景が辺り一面に広がっている。

写真からも伝わってくれると思っていますが、一言で言うと「溶岩ゴロゴロ浅間山ズドーンな荒涼の大地」って感じです。説明が雑ですみません…。高校時代を鹿児島で過ごし、学校行事として桜島一周の持久走大会みたいなものを経験した私にとっては、風景が桜島と非常に酷似しているように感じ、とても懐かしい気持ちになりました。火山活動という人間には到底及ばない大自然の大きな力を実感できる場所です。

なお、車で立ち寄る方には入場料だけでなく、有料道路の交通費(2020年8月18日現在で¥650)がかかりますが、それを払うだけの風景があることは保証します。その辺を旅する方がいらっしゃれば是非立ち寄ってみて下さい!!

愛妻の丘(嬬恋村)

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愛妻の丘で撮った同行人×2のアー写風の写真。とにかくフォトジェニック。

結論から申し上げますと、私たちはいたくこの場所を気に入ったため、この旅行で3回訪れました。それほどまでに私たち全員が気に入った場所なのですが、その出会いは非常に運命的なものでして、田代湖という嬬恋村の湖の迂回ルートで最短の道がたまたま通行止めだったことが愛妻の丘との出会いでした。通行止めのルートよりも長い迂回ルートのそばに愛妻の丘があり、その名前に興味を抱き寄ってみたところ、私も含め一緒に旅した全員が気に入ってしまったという経緯です。辺り一面にはキャベツ畑が広がっており、その開放的な田園風景は非日本的で、映像でしか見たことのないフランスのブドウ畑のようなものでした。

ところで、皆さんの中にはどうして群馬県の左上には「吾妻」や「嬬恋」などの「妻への愛」みたいなものを連想させる地名が多いのかということに疑問を抱いた方がいらっしゃるかと思います。どうやらその由来は何と日本最古の神話である古事記に由来するそうです。ヤマトタケルノミコト(日本武尊)一行が航海中に荒れ狂う海を鎮めるために、日本武尊の愛妻であるオトタチバナヒメ(弟橘媛)が海に身を投じて犠牲になり、日本武尊を救った…という伝説をご存知でしょうか。この伝説の後に愛妻を忘れられず恋しい気持ちを抱いたまま日本武尊が彷徨った場所、それこそが現在の吾妻の辺りと言われているそうです。奥が深いですね~。行ってきた後に知りました笑。

とにかく、愛妻の丘をたまたま見つけ、たまたま立ち寄ったことで美しい風景を心に刻み込んだのみならず、こうした教養も深めることができました。とりあえず吾妻のエリアに行く方は是非寄ってみて下さい。開放的な嬬恋村のキャベツ畑の中を颯爽と車で運転するのは非常に気持ちいいものです。

八ッ場ダム(長野原町)

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色々あったけど今は立派に機能している八ッ場ダムダム湖がとても綺麗。

「やつばダム」と呼んでしまいがちですが、実際は「やんばダム」と呼びます。民主党政権交代をしていた時代をご存知の方は聞きなれた単語だと思います。鳩山さんや菅(かん)さんが首相のときで、同郷の政治人である枝野さんが官房長官を務めていた時期でもあります。最近何かと話題の蓮舫さんが事業仕分けしまくってもいましたね笑。私自身、政治に関してあれこれ意見を言うのはあまり性に合わないことですが、教養としてなら非常に興味があり、また知っておいて損がないと思いますので、八ッ場ダム民主党政権の話を絡めながら紹介します。

八ッ場ダムによって水没した地域には、名湯で知られていた川原温泉街全体や名勝かつ天然記念物でもある吾妻渓谷の一部が含まれていました。非常に重要な施設や風景が水没するかもしれないとなり、地元民たちはダム建設計画に猛反発したそうです。結局1967年に着工したにも関わらず、ダムとしての運用開始は何と2019年のことでした。しかし、運用開始が遅れた理由の大きな一つに当時の民主党政権があるのです。ここで、私が小学生の頃に社会科を教えて下さっていた先生が、小学生にも非常に分かりやすく当時の普天間基地の県外移設問題について説明して下さった内容を紹介します。絵本を読む感覚でご覧ください↓↓。

"みんな本当はステーキを食べたいけど、お金が足りないからハンバーグでもいいかということで意見がまとまっていました。そこにお偉いさんがやってきて「誰のお金で食べさせてあげるかはまだ言えないけど、私がステーキを食べさせてあげよう」と言いました。そして、みんなの中には「偉い人がステーキを食べさせてくれるって言ってるんだからステーキを食べたい!」って賛成する人や「誰のお金かも決まっていないのにステーキなんて食べられるものか!ハンバーグでいいじゃん!」って反対する人、「もう面倒臭いから今まで通りで肉食べられなくてもいいや」って言う人…が出てきて、元々ハンバーグでまとまっていた意見がバラバラになってしまいました。"

―ここで言うステーキは「県外移設」、ハンバーグは「辺野古移設」、今まで通りは「移設しない」といった感じです。

さて、民主党政権時代には八ッ場ダムで水没する地域の人たちの立ち退きも終わり、あとはダムの完成を待つだけという状態にまでなっていました。しかし、その段階で民主党政権事業仕分けとして建設の中止を強行しました。先程の説明に乗っ取れば、「『ひき肉や玉ねぎやパン粉などのハンバーグを作るための具材が全部揃っていて、あとはハンバーグを作るだけ』の段階でお偉いさんが『やっぱり君たちにハンバーグを作るお金がないからやっぱりあげない!』と突然言ってきた」ような状況なのです。ひどいですね~…私が住民だったらブチギレ案件だったと思います。

結局のところ、治水の効果が見込めないとして建設中止を言い渡された八ッ場ダムでしたが、建設が再開され2019年に試験運用をした矢先に特大な台風19号が直撃し、見事に首都圏の安全を守ったのです。結果論ではありますが、民主党政権の判断が根本から間違っていたと証明された瞬間でもありました。

そのような背景を噛みしめつつ、眺めるダム湖の風景は大変感慨深いものでした。なお、貯水量が少ないときは水没地域の遺構が水面に顔を出すこともあるそうです。冬などにまた行ってみたいなと思いました。

まとめ

吾妻エリアには予定せずに赴いたものの、非常に楽しめる場所が多く大変有意義だったと振り返ります。この記事を読んで興味を持たれた方は是非、吾妻の方に行ってみることをオススメします。普段にも増して長い記事でしたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました~!!