ギターと研究と日常

大学で研究をしつつギターを弾いています。時々エフェクターを改造したり旅に出たり。

念願の碓氷峠にGoToして来ました!!

どうも~とみかです!

緊急事態宣言解除後のここ数か月で首都圏にはコロナ以前の日常が戻りつつあり、今や近場や国内の観光なら行っても大丈夫だろうという雰囲気が広まってきました。

そこで私もつい半月ほど前(8/17~19)に学科の友達と、軽井沢を中心とした群馬-長野の県境近辺を旅して参りました。国内観光なら大丈夫という雰囲気が自分の周囲で広がっていたとはいえ、地方への感染拡大防止を考慮し東京でレンタカーを借りて移動することにしました。外出自粛が始まってから実に5ヵ月ぶりの旅に心を躍らせながら、群馬・長野へと出発したのでした。

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碓氷第3橋梁(通称:めがね橋)。明治~大正期の近代的な建築物特有の赤レンガ造りの橋であり、約200万個ものレンガが使われているそうだ。

地理・歴史好きな理系大学生が語る碓氷峠の魅力

私は小中学生の頃から理科数学と同じくらい社会科が好きで、結局理系へ進学した高校時代も地歴部にはちゃっかり所属していました笑。今でもたまに東京を散策しては、不毛の大湿地:江戸から現在の世界的な大都会:東京へと発展していった街の歴史に思いを馳せることなどもしています。

このように昔も今も変わらずに地理歴史オタクな私が思うに、「どれだけ多くのモノやヒトを、どれだけの速さで、どれだけのコストで、どれだけ遠くに運べるか」というのを基準とした輸送・移動手段の変化と歴史の動きは切っても切り離せない関係にあります。世界レベルの大規模な歴史的事実でいえば、騎馬民族が人類史上最大級の帝国を築いたこと、大航海時代を皮切りに植民地支配が始まりを告げことなどがその最たる例です。

さて、話を碓氷峠に戻しますが、そもそも碓氷(うすい)峠とは日本の五街道の1つである中山道で最大の難所であり、群馬県の横川から長野県の軽井沢の区間に位置します。そして、そうした「輸送・移動手段と歴史の移り変わり」を日本で最も深く感じることのできる場所なのではないかと思い、旅先に選んだのでした。

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碓氷峠区間での最大傾斜66.7‰と、初期に使われたラック式レールを再現したもの。横川鉄道文化むらにて撮影。

明治初期、日本は「富国強兵」のスローガンを掲げ、急ピッチで近代化を推し進めていました。中でも、陸上での輸送・移動手段として当時世界最先端であった鉄道を日本中に張り巡らすことは、富国強兵の実現のために最優先とされる急務でした。そして、五街道に沿うように幹線である東海道本線東北本線中央本線などが建設されましたが、中でも最大の輸出品であった生糸の生産地が多く分布する中山道の鉄道ルートの開通は特に必要不可欠でした。しかし、性質上傾斜に弱い鉄道を、中山道最大の難所:碓氷峠に、しかも当時の建築技術で敷設することは文字通り無理矢理なもので、碓氷峠区間(通称:碓氷線)の開通工事では500名ほども犠牲者が出たそうです。しかし、そうした犠牲を払ってでもこの区間の開通は日本の近代化にとって必要不可欠だったのです。

近代化達成後も長らく碓氷線は東京と軽井沢・長野・直江津などの地方都市を繋ぎ、大量の旅客や貨物が行き交う信越本線の路線の主要区間でした。しかし、次第に物流のシェアが、鉄道よりも傾斜に強く輸送コストの低い自動車へと移っていきました。さらに、1998年の長野オリンピックに向けた長野新幹線の開通が進められました。最新鋭のトンネル掘削技術が用いられ、新幹線は碓氷峠を経由せずに長野方面へと高速に人を運ぶことができるようになりました。そして、とうとう碓氷線は1997年に廃線となってしまったのです。

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碓氷線現役時代の終盤に使用されていた電気機関車EF63。急すぎて危険な碓氷線では、全ての電車にこの機関車を連結させて走行していた。

現在、碓氷線が廃線となってから20年以上が経ちますが、その廃線跡は当時の姿を留めたまま保存されています。廃線跡の1つである旧熊ノ平駅で見た架線の支柱などは草木に覆われ、「日本の近代化のための物流という非常に大きな役割を全うし、自動車や新幹線の台頭で役割を完全に終えた今は朽ち果てるのを待つのみ」と静かに語っているようで、大変感慨深いものでした。また機会があればじっくり訪れたいなと思います。そして、この記事を読んで興味を持っていただけた方がいらっしゃれば、ぜひ碓氷峠に足を運んでみてはいかがでしょうか…!!

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旧熊ノ平駅跡。線路や電線が当時の状態のまま残されており、遺構には草木が生い茂っている。