ギターと研究と日常

大学で研究をしつつギターを弾いています。時々エフェクターを改造したり旅に出たり。

ギターは2次元楽器 その2

めちゃめちゃお久しぶりです笑

短くしないと続かない(書きたい内容があってもなかなか書けない)ということが痛いほど分かったので今回からは気分とか関係なく短めでいきます!!!

 

今回どうして再び書こうと思ったのかというと、最近練習でよく意識するようになったことがあったからなんです。それが先日書いた「ギターは2次元楽器」という記事に関連するなぁということで書いていきます!ドゾよろしくです…

先日の記事はコチラ↓↓

tomika-is-guitarist.hatenablog.com

 

ギターが2次元楽器である故の難しいポイント「流暢な発音」

先日の記事でも触れたように、ギターは指板に対して縦(弦移動)と横(フレット移動)の2方向で音程が変わる楽器ですので、音程の高低差が2次元的に分布していることから「2次元楽器」に分類されます。というか自分が勝手にそう分類しました。特にギターに関しては、弦を跨ぐ縦移動のときに音量や音色がガラっと変わりやすいですので、1つの繋がったフレーズを流暢に弾くのが実は難しいのです。

例えば、ギターで「かえるのうた」を弾こうとしたとき、「ドレミファ」の音はこのような配置になっています。(粗い画像ですみません…)

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ドレミファのポジション

この図から分かるように、「ドレ」と「ミファ」が別の弦にあります。ですので、「ドレミファミレド」というフレーズが、「ドレ/ミファミ/レド」というブツブツな発音になりがちです。しかし、やはり上手い人が弾くとちゃんと1つの繋がった「ドレミファミレド」に聞こえるんですよ~~

英語で例えるならば、"My name is tomika."という一言を「マイ/ネーム/イズ/トミカ」と言っているようなもので、これはとても流暢な発音ではありません。でもネイティブはカタカナでは当てはめられないぐらいサラッと言っちゃいますよね…!そういうことです(←どういうこと?)。

 

とりあえず、当たり前っちゃ当たり前のことに気付いただけの話ですが、最後に発音が流暢すぎるギタリストのAllen Hindsさんを紹介して終わろうと思います。

Allen Hindsさんは、世界最高峰の音大であるボストンのバークリー音楽大学(理系の世界でいうM. I. T.みたいなとこ)からロスのM. I. (Musicians Institute, 理系の世界でいうハーバードみたいなとこ)を渡り歩いて今もなお大活躍のブルースジャズフュージョンスタジオミュージシャンのスゴイ人で、とにかく甘い、これ以上甘くできないでしょ、、、あーーーもういいですってぐらい甘いくてヌルヌルしたギターの演奏をする人です笑笑。とにかくこの動画で彼の演奏を聴いてみてほしいです!!


Allen Hinds - Now Really (Japan Tour 2016 Live at Blue Mood)

 

実際、Allenのレクチャー動画がいくつかYouTubeに上がっているのを知って腕試しがてら自分も真似しようとしたら単純なのに難しすぎてできなかった、というのがこの記事の内容に気付き、この記事を書くに至ったきっかけです。その動画も貼っておきますので、ギターを弾く読者の方は是非チャレンジしてもらってAllenのスゴさを感じてみてほしいです。それではそれでは今回はこの辺で…!!(自分にしては短い!!)


Allen Hinds Legato Lesson - Guitar Lesson - How To Play Legato Techniques - Guitar Breakdown

群馬県の吾妻エリアにも行ってきました!!

どーもです!しばらく更新をせずにいた反動なのか、最近ものすごくブログ更新欲が強くなって参りました。という訳で今回は前回の続きです。

前回の記事では、久しぶりの旅で赴いた碓氷峠についてまとめましたが、今回は同じ旅で碓氷峠以外の行先である群馬県の吾妻エリアについてまとめようと思います!よろしくお願いします!

吾妻ってどこじゃ

まず、最初に吾妻(吾妻郡)がどの辺に位置するのかと言いますと、群馬の左上の突き出たあたりの大部分。私の故郷である栃木県でいうと旧日光市と旧今市市を足した感じです(←一部の栃木県民にしか伝わらない例え)。文章よりも図の方が伝わると思うのでざっくり描いた図を貼っておきます。ちなみに、かの有名な草津温泉は吾妻郡にあります。

 

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吾妻の大体の位置。かなり雑です。群馬県民の方々お許しください…。

私たちの旅は、自分が強く希望した碓氷峠以外の行先を決めておらず、元々は吾妻の方を旅しようとは思っていませんでした。群馬県の横川での観光を終わらせた後の行先に困っていたタイミングで、一緒に行った仲間の1人が「浅間山鬼押し出し園に行きたい!」と言い出したことで、私たちの行先は吾妻エリアへと決まったのでした。ここからは行った順に、吾妻のオススメスポットを紹介していきます。

鬼押し出し園・浅間山

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手前には溶岩。奥には浅間山が見える。このような風景が辺り一面に広がっている。

写真からも伝わってくれると思っていますが、一言で言うと「溶岩ゴロゴロ浅間山ズドーンな荒涼の大地」って感じです。説明が雑ですみません…。高校時代を鹿児島で過ごし、学校行事として桜島一周の持久走大会みたいなものを経験した私にとっては、風景が桜島と非常に酷似しているように感じ、とても懐かしい気持ちになりました。火山活動という人間には到底及ばない大自然の大きな力を実感できる場所です。

なお、車で立ち寄る方には入場料だけでなく、有料道路の交通費(2020年8月18日現在で¥650)がかかりますが、それを払うだけの風景があることは保証します。その辺を旅する方がいらっしゃれば是非立ち寄ってみて下さい!!

愛妻の丘(嬬恋村)

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愛妻の丘で撮った同行人×2のアー写風の写真。とにかくフォトジェニック。

結論から申し上げますと、私たちはいたくこの場所を気に入ったため、この旅行で3回訪れました。それほどまでに私たち全員が気に入った場所なのですが、その出会いは非常に運命的なものでして、田代湖という嬬恋村の湖の迂回ルートで最短の道がたまたま通行止めだったことが愛妻の丘との出会いでした。通行止めのルートよりも長い迂回ルートのそばに愛妻の丘があり、その名前に興味を抱き寄ってみたところ、私も含め一緒に旅した全員が気に入ってしまったという経緯です。辺り一面にはキャベツ畑が広がっており、その開放的な田園風景は非日本的で、映像でしか見たことのないフランスのブドウ畑のようなものでした。

ところで、皆さんの中にはどうして群馬県の左上には「吾妻」や「嬬恋」などの「妻への愛」みたいなものを連想させる地名が多いのかということに疑問を抱いた方がいらっしゃるかと思います。どうやらその由来は何と日本最古の神話である古事記に由来するそうです。ヤマトタケルノミコト(日本武尊)一行が航海中に荒れ狂う海を鎮めるために、日本武尊の愛妻であるオトタチバナヒメ(弟橘媛)が海に身を投じて犠牲になり、日本武尊を救った…という伝説をご存知でしょうか。この伝説の後に愛妻を忘れられず恋しい気持ちを抱いたまま日本武尊が彷徨った場所、それこそが現在の吾妻の辺りと言われているそうです。奥が深いですね~。行ってきた後に知りました笑。

とにかく、愛妻の丘をたまたま見つけ、たまたま立ち寄ったことで美しい風景を心に刻み込んだのみならず、こうした教養も深めることができました。とりあえず吾妻のエリアに行く方は是非寄ってみて下さい。開放的な嬬恋村のキャベツ畑の中を颯爽と車で運転するのは非常に気持ちいいものです。

八ッ場ダム(長野原町)

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色々あったけど今は立派に機能している八ッ場ダムダム湖がとても綺麗。

「やつばダム」と呼んでしまいがちですが、実際は「やんばダム」と呼びます。民主党政権交代をしていた時代をご存知の方は聞きなれた単語だと思います。鳩山さんや菅(かん)さんが首相のときで、同郷の政治人である枝野さんが官房長官を務めていた時期でもあります。最近何かと話題の蓮舫さんが事業仕分けしまくってもいましたね笑。私自身、政治に関してあれこれ意見を言うのはあまり性に合わないことですが、教養としてなら非常に興味があり、また知っておいて損がないと思いますので、八ッ場ダム民主党政権の話を絡めながら紹介します。

八ッ場ダムによって水没した地域には、名湯で知られていた川原温泉街全体や名勝かつ天然記念物でもある吾妻渓谷の一部が含まれていました。非常に重要な施設や風景が水没するかもしれないとなり、地元民たちはダム建設計画に猛反発したそうです。結局1967年に着工したにも関わらず、ダムとしての運用開始は何と2019年のことでした。しかし、運用開始が遅れた理由の大きな一つに当時の民主党政権があるのです。ここで、私が小学生の頃に社会科を教えて下さっていた先生が、小学生にも非常に分かりやすく当時の普天間基地の県外移設問題について説明して下さった内容を紹介します。絵本を読む感覚でご覧ください↓↓。

"みんな本当はステーキを食べたいけど、お金が足りないからハンバーグでもいいかということで意見がまとまっていました。そこにお偉いさんがやってきて「誰のお金で食べさせてあげるかはまだ言えないけど、私がステーキを食べさせてあげよう」と言いました。そして、みんなの中には「偉い人がステーキを食べさせてくれるって言ってるんだからステーキを食べたい!」って賛成する人や「誰のお金かも決まっていないのにステーキなんて食べられるものか!ハンバーグでいいじゃん!」って反対する人、「もう面倒臭いから今まで通りで肉食べられなくてもいいや」って言う人…が出てきて、元々ハンバーグでまとまっていた意見がバラバラになってしまいました。"

―ここで言うステーキは「県外移設」、ハンバーグは「辺野古移設」、今まで通りは「移設しない」といった感じです。

さて、民主党政権時代には八ッ場ダムで水没する地域の人たちの立ち退きも終わり、あとはダムの完成を待つだけという状態にまでなっていました。しかし、その段階で民主党政権事業仕分けとして建設の中止を強行しました。先程の説明に乗っ取れば、「『ひき肉や玉ねぎやパン粉などのハンバーグを作るための具材が全部揃っていて、あとはハンバーグを作るだけ』の段階でお偉いさんが『やっぱり君たちにハンバーグを作るお金がないからやっぱりあげない!』と突然言ってきた」ような状況なのです。ひどいですね~…私が住民だったらブチギレ案件だったと思います。

結局のところ、治水の効果が見込めないとして建設中止を言い渡された八ッ場ダムでしたが、建設が再開され2019年に試験運用をした矢先に特大な台風19号が直撃し、見事に首都圏の安全を守ったのです。結果論ではありますが、民主党政権の判断が根本から間違っていたと証明された瞬間でもありました。

そのような背景を噛みしめつつ、眺めるダム湖の風景は大変感慨深いものでした。なお、貯水量が少ないときは水没地域の遺構が水面に顔を出すこともあるそうです。冬などにまた行ってみたいなと思いました。

まとめ

吾妻エリアには予定せずに赴いたものの、非常に楽しめる場所が多く大変有意義だったと振り返ります。この記事を読んで興味を持たれた方は是非、吾妻の方に行ってみることをオススメします。普段にも増して長い記事でしたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました~!!

念願の碓氷峠にGoToして来ました!!

どうも~とみかです!

緊急事態宣言解除後のここ数か月で首都圏にはコロナ以前の日常が戻りつつあり、今や近場や国内の観光なら行っても大丈夫だろうという雰囲気が広まってきました。

そこで私もつい半月ほど前(8/17~19)に学科の友達と、軽井沢を中心とした群馬-長野の県境近辺を旅して参りました。国内観光なら大丈夫という雰囲気が自分の周囲で広がっていたとはいえ、地方への感染拡大防止を考慮し東京でレンタカーを借りて移動することにしました。外出自粛が始まってから実に5ヵ月ぶりの旅に心を躍らせながら、群馬・長野へと出発したのでした。

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碓氷第3橋梁(通称:めがね橋)。明治~大正期の近代的な建築物特有の赤レンガ造りの橋であり、約200万個ものレンガが使われているそうだ。

地理・歴史好きな理系大学生が語る碓氷峠の魅力

私は小中学生の頃から理科数学と同じくらい社会科が好きで、結局理系へ進学した高校時代も地歴部にはちゃっかり所属していました笑。今でもたまに東京を散策しては、不毛の大湿地:江戸から現在の世界的な大都会:東京へと発展していった街の歴史に思いを馳せることなどもしています。

このように昔も今も変わらずに地理歴史オタクな私が思うに、「どれだけ多くのモノやヒトを、どれだけの速さで、どれだけのコストで、どれだけ遠くに運べるか」というのを基準とした輸送・移動手段の変化と歴史の動きは切っても切り離せない関係にあります。世界レベルの大規模な歴史的事実でいえば、騎馬民族が人類史上最大級の帝国を築いたこと、大航海時代を皮切りに植民地支配が始まりを告げことなどがその最たる例です。

さて、話を碓氷峠に戻しますが、そもそも碓氷(うすい)峠とは日本の五街道の1つである中山道で最大の難所であり、群馬県の横川から長野県の軽井沢の区間に位置します。そして、そうした「輸送・移動手段と歴史の移り変わり」を日本で最も深く感じることのできる場所なのではないかと思い、旅先に選んだのでした。

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碓氷峠区間での最大傾斜66.7‰と、初期に使われたラック式レールを再現したもの。横川鉄道文化むらにて撮影。

明治初期、日本は「富国強兵」のスローガンを掲げ、急ピッチで近代化を推し進めていました。中でも、陸上での輸送・移動手段として当時世界最先端であった鉄道を日本中に張り巡らすことは、富国強兵の実現のために最優先とされる急務でした。そして、五街道に沿うように幹線である東海道本線東北本線中央本線などが建設されましたが、中でも最大の輸出品であった生糸の生産地が多く分布する中山道の鉄道ルートの開通は特に必要不可欠でした。しかし、性質上傾斜に弱い鉄道を、中山道最大の難所:碓氷峠に、しかも当時の建築技術で敷設することは文字通り無理矢理なもので、碓氷峠区間(通称:碓氷線)の開通工事では500名ほども犠牲者が出たそうです。しかし、そうした犠牲を払ってでもこの区間の開通は日本の近代化にとって必要不可欠だったのです。

近代化達成後も長らく碓氷線は東京と軽井沢・長野・直江津などの地方都市を繋ぎ、大量の旅客や貨物が行き交う信越本線の路線の主要区間でした。しかし、次第に物流のシェアが、鉄道よりも傾斜に強く輸送コストの低い自動車へと移っていきました。さらに、1998年の長野オリンピックに向けた長野新幹線の開通が進められました。最新鋭のトンネル掘削技術が用いられ、新幹線は碓氷峠を経由せずに長野方面へと高速に人を運ぶことができるようになりました。そして、とうとう碓氷線は1997年に廃線となってしまったのです。

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碓氷線現役時代の終盤に使用されていた電気機関車EF63。急すぎて危険な碓氷線では、全ての電車にこの機関車を連結させて走行していた。

現在、碓氷線が廃線となってから20年以上が経ちますが、その廃線跡は当時の姿を留めたまま保存されています。廃線跡の1つである旧熊ノ平駅で見た架線の支柱などは草木に覆われ、「日本の近代化のための物流という非常に大きな役割を全うし、自動車や新幹線の台頭で役割を完全に終えた今は朽ち果てるのを待つのみ」と静かに語っているようで、大変感慨深いものでした。また機会があればじっくり訪れたいなと思います。そして、この記事を読んで興味を持っていただけた方がいらっしゃれば、ぜひ碓氷峠に足を運んでみてはいかがでしょうか…!!

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旧熊ノ平駅跡。線路や電線が当時の状態のまま残されており、遺構には草木が生い茂っている。



ギターは2次元楽器

皆さん超絶お久しぶりです!!笑

 

始めた当初はかなり乗り気で割と更新していたブログでしたが、書くたびに記事1つ1つが長くなってしまった結果、「書きたい!」って思うことがあっても面倒に思えてしまい手が付かない、という状況になってしまいずっと放置していました…。しかし、何か書いて残しておきたい気持ちは消えず今回の記事を執筆するに至りました。

という訳で今回はどんな感じでどのくらいの分量の記事を書こうかもあまり気にせず気軽に書いていきます~♪ (注:これも割と長い記事です)

 

1次元楽器と2次元楽器

僕は幼少期から習い事としてクラシックピアノを習っていました。しかし、ストイックさが非常に求められる練習が多く、飽きっぽい性格の僕はいつもピアノをサボってばかりいました。しかし、なんやかんやで音楽そのものは大好きだったため、練習量が足りずさほど上手ではなかったにしても中学3年生まで続けていました。そのため、耳に聞こえた音や頭の中で思い浮かべた音列などの音程は鍵盤でイメージする癖が染みついていました。

さて、今や大学生ギタリストを自称するようにギターをメインの楽器としていますが、「ギターを自在に操るためには鍵盤とは違った音程の捉え方が必要なのだ」と気付いたのは実は割と最近の話。特にギターを習うようになって師匠の音の捉え方との違いを実感するようになってからでした。だいたい半年前ぐらいのことです笑

このように、私は元々鍵盤的な音程の捉え方しかできなかったのが現在はギター的な音程の捉え方を養成している状況にいます。そして、両者を分ける1番の違いは「1次元的」か「2次元的」か、というものだと気付きました。

タイトルからも察せるように鍵盤は1次元楽器で、ギターは2次元楽器だと私は思っています。ピアノは左から右へと順に音が高くなる構造で、白鍵と黒鍵合わせて88個の鍵が半音のインターバルで順に並んでいます。音程が高くなる方向は左右の方向だけ、つまり1次元的なのです。

対してギターはというと、押さえる位置を奥から手前にしても音が高くなりますし、細い方の隣の弦に押さえる位置をずらしても音が高くなります。つまり音程が高くなる方向は2方向、つまり2次元的なのです。

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鳴らしたい音が1つあるとき、その音が出る場所というものは1次元楽器には1つだけありますが、2次元楽器には複数あります。同じように、鳴らしたい音列があるとき、1次元楽器では移動が1方向で済みますが、2次元楽器では2方向への移動を伴います。そのため、2次元楽器を使いこなそうと思ったときには、1次元楽器とは異なるトレーニング方法が必要なのではないかと思うのです。そこで、最近基礎練として取り入れている方法を紹介してこの記事を終わりにしようと思います。

 

ハノン2次元楽器応用編

皆さんはピアノの教本である「ハノン」をご存知でしょうか。

「ドミファソラソファミ レファソラシラソファ…」みたいな感じでひたすらメジャースケールを昇り、「ソミレドシドレミ ファレドシラシドレ…」とひたすら降りていく修行のようなものです。このパターンが何種類も書かれている修行の書物、それこそが「ハノン」なのです。ピアノの練習をストイックたらしめる元凶の1つで、ピアノをやっていた時期の嫌な練習メニュー堂々の第1位でした笑。

さて、私はギターでアドリブなどをするようになってからずっと、ドレミファソラシで思い浮かべた音を瞬時に再現する力が欲しいと思っていました。そんなとき、たまたま録画していてたまたま見た「らららクラシック」という番組がハノンを特集していたのです。そこで、ハノンの練習をギターに取り入れてみようと思い立ったのでした。すぐ影響されやすい性格がこういう行動に出てしまうのです笑。

具体的な練習法ですが、ハノンに書かれた上昇/下降のパターンを2方向どちらでも再現してみるという内容です。詳しくは図に描きます。この基礎練でどれほどの効果があるかはまだ分かりませんが、しばらくは効くと信じてやってみようと思います笑。ついでに、パターンを開始する音を変えて練習をし、移動ド(※)の感覚養成の効果も狙ってみようと思います!!

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※移動ド:「ドレミファソラシ」を階名として絶対的な音名であるCDEFGABと区別し調によってドの位置を変えていく手法。相対音感が欲しいと思い最近はこの感覚の養成にも取り組んでいる。また記事を書くかも。

 

追記:手書きの図を導入してみました。操作が不慣れ&技術不足で見づらいかもしれませんがご了承ください。

追記2:訂正です。1つ目の図「ネック側」→「ヘッド側」

5月になりました!! ブログ開設から1ヶ月、2020年4月を振り返って

お久しぶりです。早いもので5月ですね。

お陰様で、4/1に軽いノリのようなもので始めたこのブログも1ヶ月経ち、累計で500人ほどにも読んでいただきました!ありがとうございます!!Twitterfacebookなどに告知した際にも、「いいね」等で反応していただいた方もいて非常に嬉しい限りです。なお、facebookで告知をしたことで親にこのブログの存在がバレまして、家族にも読まれる顛末となっております笑。

振り返ってみれば、この1ヶ月はとても波乱に満ちていました笑。ご時世がご時世ですから環境的な側面もありますが、私自身という個人にとってどのような1ヶ月だったかを振り返りたいと思います。

「ギターと研究」の両立が想像を遥かに超えて大変だと思い知りました

ブログのタイトルにもしているように、私は「ギター」と「大学の研究」の全力二本立て生活を謳歌する(しようと思っている)大学生です。「やるからには徹底的に」と自らを奮い立たせ、ライブやセッション、SNSでの演奏動画、レッスン等を通じて高いレベルの環境に身を置いてギターに取り組む一方で、実績のある研究室を自ら選び研究活動に精を出そうと決めました。

しかし、ギターと研究の生活が始まってまだ1ヵ月ほどしか経過していませんが、この時点でも既に現実の厳しさを思い知らされました。研究に時間を取られギターの練習時間が確保できず、その逆も然りでギターの練習で時間を取られ研究に手が付かず…気付けば両方とも上手くいかず負の連鎖となり、どちらからも目を背けてしまったこともありました。とにかく、結構思い悩むことが多い1ヶ月でした笑。

それでも、自分はどちらかを捨てることはできませんでした。まだ1ヶ月目なのにこれほど思い悩むということは、今後もっと大変な思いをすることになるのかもしれませんし、実際その通りだと思っています。今後の人生でどちらか一方を捨ててどちらかに専念する選択を迫られるかもしれませんが、可能な限りどちらも全力で続けて、捨てるとなったとても「自分はやり切ったぞ!」という完全燃焼の実感を持てるように頑張っていきたいですね!!

ここからは具体的にギターと研究でどのように思い悩み、どのように解決したのか(解決に向けて頑張れているか)を書き、記録を残したいと思います。ただ悩むだけでは勿体ないので、「言語化して記録し、共有する」ことは非常に有意義なのではないのでしょうか。今後も毎月最初の記事はこういうのにしたいです…!少しネガティブな内容も書くかもしれませんがよろしくお願いします。

4月の苦悩 ~ギター編~

4月はとことん「ジャズ」と「相対音感レーニング」に苦しめられました笑笑。

私は現在レッスンでジャズギターを教わっており、元々「ジャズの曲でソロを自分で考えて譜面に起こし自分でも弾けるようする」というトレーニングをしていました。最終的にはそれが即興でできるようにならないと一人前のジャズプレイヤーとは言えない訳ですから、まだまだ初歩的なものです。しかし、私にとってそれは非常に高いハードルでした。

そのトレーニングを行うには様々な技能が必要ですが、私自身にはそうした「思った通りに譜面を書く」「響きが明らかにおかしい音かどうかを判断する」などといった技能自体に問題はあまりなかったようです。しかし、自分の作るソロが自分で納得できない、というジレンマに襲われました。どうもジャズとしては格好が悪いソロになってしまうのです。しかし、どうして格好悪いのかも分からず放置していました。気が付けばそのトレーニングがやっつけ仕事の作業になっており、楽しさ・成長感・達成感などといった生気を一切感じなくなり、トレーニング自体にも手を付けずにいました。そのようにモチベーションが非常に低く、ジャズが若干嫌いになっていた状況でレッスンを受けたところ、案の定ボコられまくりでした笑。

今は、ジャズへの取り組みに関しての負のピークを一旦超えています。まずはジャズを知るところから始め、「ジャズのカッコよさ」を自分の中に落とし込まなければと思い、これまでほぼ聴いていなかったビッグバンド系のジャズやビバップ系のジャズも聴くようにしました。ジャズに詳しい友人を何人か頼ったところ、オススメの曲を沢山教えてくれました。教えてくれた各位、ありがとうございます!最近は毎日、論文を読みながら教えてくれた曲を聴くようにしていますが、以前よりも「ジャズってカッコいい!!自分もこんな感じに弾けるようになりたい!」という気持ちが高まったように感じます。

私が4月に苦しめられたもう1つの方「相対音感」に関しては、実は1つの記事にしようと思っていることですので、今は書きません。今後出す相対音感の記事にご期待ください笑笑!!

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同居人の姉が帰省したためテレビを占拠してデュアルディスプレイ化した快適な勉強空間で、ジャズを聴きながら論文を読む様子

4月の苦悩 ~研究編~

研究関係では「英語の論文を和訳し、その内容をスライドを使って説明する」という課題に取り組んだ後、院試の願書を書いて提出し、今は同じような課題の2つ目に取り組んでいるという状況です。そして、今の課題に取り組み始めたあたりの時点で、研究の方も上手くいかなくなっていきました。

これまで「単位が来て進級できればいいや」程度の決して高いとは言えないモチベーションで大学の授業を受けていた私にとって、そもそも日本語でも何言ってるのかよく分からない専門用語の羅列である学術論文を英語で読むのには相当な労力が要りました。最初の課題は、研究室の同期が全員で同じ論文に取り組むというものだったため、同期と助け合いながら何とか進めることができていました。しかし、今取り組んでいる課題は、新入生(大学4年生ですけど研究室では新入生です笑)ごとに違った論文に各自で取り組むというものです。内容もより専門性を増して難しくなっているうえに、同期も頼ることができない、1人でやらなければならない…という状況に絶望しました。そして、課題に取り組むペースも非常に遅くなっていきました。

 このような負の感情に溢れた状況は現在、何とか解決しました。振り返れば「1人でやらなければいけない」というのが間違っていました。研究室の先輩を頼り、専門用語の調べ方や参考論文の収集の仕方などを教えてもらってから、だいぶ進捗を生めるようになりました。また、ちょうど医学絡みの論文だったため、分からない単語や文章を医学部に通う姉にLINEで聞くこともしました。現在は3週間後に控えた発表に向けて、遅れたペースを取り戻そうと必死になって取り組んでいます。(必死に取り組んでいるのならブログを書く暇ないのでは?という疑問は今は置いておいてください笑笑。)

まとめ

「何かに取り組むときには人に聞くって大事だなぁ」と強く実感した1ヶ月でした。

ジャズの曲をろくに知らず、ジャズのカッコよさすら実感せずにジャズのトレーニングを1人でしようとした結果、ジャズの練習は行き詰まりました。1人の力で論文を読まなければいけないと思い込んだ結果、絶望して課題への取り組みが遅くなりました。

また、「人に聞く前に『何が分かれば解決するのか』を理解する」ことも非常に大切だと実感しました。

ジャズに嫌気が差しながらジャズを教わったレッスンでジャズへの取り組みなどに関して質問をしましたが、師匠からは「何を聞きたいのかが分からない、漠然としすぎている」と言われてしまいました。元々研究室の先輩や姉を頼るという選択肢がありながらも、「何が分からないのかすら分からない」という状況に陥り、聞くに聞けないままでいました。

 

今後、同じように何かに関して思い悩むことがあったとき、行き詰まる前に「『誰に何を聞けば解決するのか』を理解し、1人で抱え込まず人に聞く」ということを意識しようと思いました。以上、駄文失礼しました。5月も頑張っていきましょう!!

BOSSコン改造のすゝめ 第0章:オーディオの世界は泥沼

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と言えり。

これは福沢諭吉による名著「学問のすゝめ」の有名な冒頭文です。この文には続きがあり、「(生まれてすぐではみんな平等です。)しかし大人になってこんなにも差が出てしまうのは何故でしょう?それは人によって勉強しているかどうかが違うからなんですよ!」という部分までを含めたものが、福沢諭吉が人々に学問をすすめる理由なのだそうです。その理由のうちの「生まれてすぐは平等だ」という部分だけが覚えられがちですが、実際は福沢諭吉が平等論者という訳ではないのです。学問のすゝめを参考に題名を決めたため、少しはその内容に触れないと…と思い、このようなムダ知識を冒頭に書きました笑。

 

そもそも「BOSSコン」とは何ぞや

BOSSコンとは、「日本のエフェクターブランドBOSS製品のコンパクトエフェクター」のことです。

BOSSは、各種キーボードやギターアンプJC-120等で有名な株式会社ローランドのグループ会社で、日本で初めてコンパクトエフェクターを製造・販売したブランドです。「量産性が高い」「品質が安定している」「初心者にも買い求めやすい価格」という3拍子が揃っており、統一感のある印象的な見た目も相まって、ギタリストならほぼ誰もが知るエフェクターブランドでもあります。

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BOSSコンの写真です。非ギタリストでも見たことある形なのでは…

エフェクターはその名の通り、音に効果を与えます。その効果の種類は無数にありますが、私が改造しているのは主に「歪み」という効果を与える「歪み系エフェクター」です。歪みの効果を簡単に説明すると、元々は「チャラ~ン」っていうギターのキレイめな音を「ジャカジャカ」って音に変える効果です。伝わりましたかね…笑。

 

歪みエフェクターの起源

生音の音量が小さく他の楽器に埋もれてしまっていたギターを、何とか音を電気信号にして信号を増幅して大きな音量で出せるようにしよう!と、エレキギターギターアンプが開発されました。しかし、ギターアンプで音量を大きくしたとき、「チャラ~ン」という音が次第に「ジャカジャカ」と鳴るようになりました。「増幅した信号の大きさ」が大きすぎるあまり「ちゃんと再生できる信号の大きさ」の限界を超えてしまったことによるものです。これが歪みという効果の原因を簡単に説明したものです。ちなみに、昔のラジオやトランシーバーから聞こえる声がザラザラした感じになるも歪みの効果によるものです(歪みの原理が少々違いますが…)。そして、アンプの限界突破というメカニズムで生み出された歪みの音が、次第にギター演奏に取り入れられるようになりました。そこで、アンプを通さなくても歪みの効果を得られるようにと開発されたのが、歪み系エフェクターなのです。

 

良い歪みの音とは

先ほど説明したように"歪み"という現象自体がアンプの限界突破を表すようなもので、極力歪みを抑えて動かすよう設計されるオーディオ機器とは別物のように思えます。しかし、ギタリストの間で良い歪みの音とされるものが「極力歪まないように設計されたオーディオ機器が結果的に歪んでしまった音」なので、歪み効果を再現する歪みエフェクターにもオーディオ機器と言える部分があります。さらに、オーディオ機器の良し悪しを決めるのも「電気的な音声信号をどれだけ忠実に再生できるのか」という理論的なものではなく、「人間の耳がどれほど心地よいと感じるか」という感覚的なものです。つまり「良い音」と感じた時点でそれが「良い歪みの音」なのです。

 

良い音を求めることは、底なし沼に足を踏み入れること

はっきり言って、良い音を追求することは底なし沼に足を踏み入れるようなものです。

オーディオの世界では、良い音を求めて電気電子業界の技術発展の流れに逆行することがしばしばあります。その一例に、真空管の使用があります。

技術発展により照明機器は白熱電球からLEDへと移行しました。それと同じく電気電子業界では、大きな電力を必要とする上に劣化が激しく小型化が難しい真空管から、省電力で長寿命かつ小型なトランジスタへと移行しました。その技術発展のおかげで、昔は一部屋を埋め尽くすほど巨大だったコンピュータが今やスマホという手のひらサイズで、しかも何百・何千…倍もの性能を実現しています。しかし、オーディオの世界では、トランジスタに置き換えられたはずの真空管が未だに使用されています。トランジスタにはない真空管の特性が、人間の耳にとって心地よく聞こえるからだそうです。

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世界初のコンピュータのENIAC。当時はトランジスタなど存在せず、その役割を全て真空管が果たしている。Wikipediaより。

また、小学校の理科でも習うように抵抗器はΩという単位で性能を計ることが多いです。しかし、オーディオの世界では「金属の1Ω」と「炭素の1Ω」が全く違う物として扱われます。つまり、回路を構成する全ての材料によっても音の聞こえ方が変わってくるということです。

さらに、「良い音」の価値観は人によって違います。先ほどの例で例えると、全員が全員「金属の1Ω」と「炭素の1Ω」の違いを聞き分けられる人であるとは限りませんが、その部品選択を誤っただけで90%の人が「悪い音」だと思う可能性もあります。どこまでの追求で妥協するのか、というのも重要な判断基準となるのです。

このように、感覚をベースにしたオーディオの世界は、時には科学技術の発展に逆行することもあれば、材料が違うだけで音が変わることもあります。さらに、人によって異なる価値観との向き合い方も重要となるのです。だからこそ、「良い音」を得られたときの感動はとても大きなものだと私は思います。趣味としては、どちらかというと演奏の方に重きを置きたい私はさほど深い部分までは追究できませんが、その中でもどのように考えてエフェクターを改造しているのか、はたまた何故BOSSコンの改造という結論に至ったのかというのを第1章以降で解説していく所存です!!

 

まとめ

今回の記事はBOSSコンの話から始まり、歪みの話、そしてオーディオの世界の泥沼さという、非常に難しい話にシフトしていきました。サブタイトルでも書いたように、良い音を求めるオーディオの世界は泥沼だということを理解して頂けたら幸いです笑。

第1章以降もお楽しみに~!!

石垣島で観光客から感染拡大?!コロナ感染拡大で観光地化について思ったこと

先ほど、目を疑うようなニュースを目にしました。

私の父親は石垣島出身で、現在も祖母をはじめとし大勢の私の親戚が石垣島に住んでいます。幼少の頃から毎年、お盆には両親に連れられ石垣島に行っており、遠く離れた親戚と会うことを楽しみにしていました。そして、お盆で親戚と会い、昔に亡くなった祖父や曾祖母といった私の先祖の話を聞いているうちに、石垣島は「先祖から様々なものを受け継いで今自分がここにいる」という由縁を感じる神秘的な場所ともなっていました。そのような背景を持つ私にとって、「コロナ発症の可能性がある状態にも関わらず、自宅待機の指示を無視して石垣島に観光に行った」という身勝手な行動によって石垣島が感染爆発の危機に瀕している、という状況には非常に強い憤りを覚えます。

このニュースを聞くや否や、私は島にウイルスを持ち込んだであろう女性に怒りの矛先を向けていました。しかし、女性をいくら責めても島のウイルスは無くなりません。しばらくして冷静になり、ふと今回の事例に関して考えたことを記事にでも書いてみようかなと思いました。

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石垣島バンナ岳展望台からの景色。この夏のお盆は無事、石垣島に帰省できるだろうか…

 観光地化の弊害

私がほぼ毎年石垣島に行く度に、島はどんどん変わっていきました。見出しにもあるように、観光地化という意味での変化ですが、もちろん私が生まれる前から始まっていたことではあります。ですが、航空機技術の向上・LCCの登場などによって航空機の値段が下がったこと、石垣空港が移転し大規模化したことなどは私が生まれた後の出来事であり、観光地化が最も激化しているのは私の記憶にある今の時期なのではないかと思います。島に行く度、ホテルやカフェが次々と作られ、交通量や施設にいる人の数も増えているのを実感していました。そして、今や誰もが知る南国のリゾート地といったイメージが定着しつつあります。

しかし、石垣島が交通網の発展も含めて観光地化に成功してしまったからこそ、このような事態が起こったと私は考えます。「コロナ疎開」という言葉が話題になっていますが、空港が新しくなり東京からの直通便が1日何便も往復するようにもなった石垣島疎開先としては非常に絶好です。1日の便数が少なく小型機しか着陸できず、羽田への直通便が1便もなかった空港だった頃であれば、疎開先の候補としてはかなり順位が低かったはずです。結局、感染を広めたとされる女性はコロナ疎開ではなく、さらに身勝手な理由で来島した訳ですが、実質同じようなものです。観光地化によって知名度が上がり、多くの人が島に来るようになったことは非常に喜ばしいことですが、このような弊害もあるのだなと実感しました。

 

とにかく今私には石垣島のコロナ感染拡大を防ぐことはできず、ただ祖母や親戚の無事を祈ることしかできません。そして今回の事例から、身勝手な行動によるコロナ感染拡大が他でも起きないことを強く願います。私自身も、感染拡大に加担しないよう努めていこうと思います。何かとつらい時期ですが、頑張って乗り越えていきましょう。

 

石垣島出身アーティスト"BEGIN"による曲「島人ぬ宝」

変わりゆく島・忘れゆく島の文化への哀愁…故郷への思いを綴った名曲です↓↓


BEGIN/島人ぬ宝(沖縄からうた開き!うたの日コンサート2016 in 嘉手納【歌之日演唱會 】